今回は息子を通して、自閉症児の発達について思うことを書いてみたいと思います。
特に
- 目立つ障害の裏で育つ感性
- 彼の外界との関わり方の変化
に焦点を当てたお話ができたらなと思います。
息子は確かに成長している
相変わらず喋ることはできない息子ですが、昨年初めと比べて明らかに視野が広がった様子が見えます。
端で見る感覚としては、元々は自分と親である私達以外は「何か人がいる」程度の認識だったのが、今では「どんな人がいる」という所まで広がったように思えます。
例えば優しそうな雰囲気の女性の近くに寄ってみる。偶然近くに来た子供と笑い合うなど、反応の対象が広がっている感じです。
睡眠についても大きな改善がありました。
年の初めは薬の力を借りて睡眠を取らせ、薬を手放せない状況でした。
しかしその状況は半年も続かずに改善を見せ、息子は私や妻に笑顔で寄り添って眠るようになりました。
そして驚くべき事に、家族旅行ではおじいちゃんの布団に自分から潜り込み、朝までぐっすり寝る。という快挙を成し遂げました。
息子にとっての家族の定義が広がっているのがはっきり感じられて、物凄く感動しました……。
息子が自分で育ってくれた部分も大きいと思いますが、何よりお義父さん、妻の姉妹に姪っ子・甥っ子まで皆が息子に沢山の愛情を注いでくれた事がひときわ大切なピースだったのだと感じています。
保育園で楽しく過ごせていることも、妻が沢山遊びに連れ出してくれていることも、一つ一つの積み重ねが彼の中に蓄積している。楽しくいられるから伸びられるのかな……としみじみ思いますね。
できたこと一つずつは小さな変化ですが、その意味はとても大きいと思います。何せ、内側に閉じていた息子の世界が外に広がることの証ですからね。
表現する感情の種類も増えた
上手くできなくて悔しがるようになる、着替えの時に脱いだ服にわざと手を通してニヤリと笑う。
妻が息子の言葉(ウンドドド……などの独り言)に同じ音を返すと「お母さんが僕の言葉を真似している!」と驚きの表情を見せ、キャーキャー喜んでお互いに同じ音を繰り返し合う。
表現できる喜怒哀楽に深みが出てきたと感じます。
これまでは見えなかった「感情の理由」が少しずつ、息子自身の表現と結びついてきた。表現の仕方がちょっとだけわかったのかも知れません。
遊びの中で見える成長
例えばハシゴが登れるようになったり、以前は意味が理解できていなかった型はめパズルの理屈に気が付いたり。
怖くて出来なかった遊びに挑戦する勇気を出したりと、息子の意思や心の動きが見えやすくなってきました。
また、言われたことをある程度理解している様子も見られます。
こっちおいで、ご飯の時は座って、体洗うからおもちゃ片付けて。そういった指示語に正しく従ってくれるシーンが増えてきました。
アイコンタクトも増え、何を言われているか理解している様子が窺えます。
幼いまま停まってしまうわけではない
発達速度が他と比べてどうかなど、これらの「息子が前に進んでいる確信」の前では些細な事と私には思えます。
この先競争の中で優劣をつける土俵に立てないとしたら、そうでないフィールドを探していくつもりでいます。
知的障害は○歳相当の知能から発達しない。という記述も見かけますが、本当にそうなのだろうか。
仮にそうだとしてもそれは思考力の問題であり、情緒が幼いままという訳ではないのではないか。
成長する息子を見て、そう思わずにいられません。
究極は息子が幸せに社会と関わって生きていける事。 その事を忘れずにいたいものですね。
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